日本歴史地名大系 「御蔵前」の解説
御蔵前
おくらまえ
浅草御米蔵西側をさす通称。蔵前ともいう。元和六年(一六二〇)の御米蔵設置後、江戸時代中期から蔵の前(西)側は御蔵前と称されるようになり、蔵米を扱う米問屋や札差の店が立並んだ。また御米蔵西側を北上する日光道中も浅草御蔵前通・御蔵前通と称された(沿革図書など)。「江戸惣鹿子名所大全」には米屋の集中する場所の一として浅草御蔵前があげられている。文政八年(一八二五)の浅草御蔵前札差起立(文政町方書上)によれば、札差の居住は寛文(一六六一―七三)頃に始まったかとし、享保九年(一七二四)には一〇九人が札差宿に任じられた。この一〇九人は片町組・天王町組・森田町組に分れ、各組合から五人ずつ、計三町で一五人が月代り行事を勤めた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報