蔵前(読み)クラマエ

デジタル大辞泉 「蔵前」の意味・読み・例文・類語

くらまえ〔くらまへ〕【蔵前】

東京都台東区の地名隅田川西岸にあり、江戸時代幕府米蔵が置かれた。

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精選版 日本国語大辞典 「蔵前」の意味・読み・例文・類語

くらまえ くらまへ【蔵前】

(江戸時代、幕府の米蔵が置かれていたために呼ばれた) 東京都台東区の南東部、隅田川の右岸にある地名。おもちゃ文房具造花問屋が多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「蔵前」の意味・わかりやすい解説

蔵前 (くらまえ)

東京都台東区南東部の地名。浅草の南,隅田川右岸に位置する。1620年(元和6)江戸幕府がこの地に浅草御蔵(幕府最大の米蔵),舟着場をつくり,付近御蔵前(おくらまえ)と呼んだことに始まる。札差や米問屋が集まり繁栄したが,明治以後,かわって人形,玩具,文房具,雑貨などの卸売問屋が集中するようになった。1881年に東京職工学校(東京工業大学の前身)がつくられ,蔵前と通称されたが,1924年大岡山(現,目黒区大岡山)に移転した。第2次大戦後,両国国技館がアメリカ軍に接収されたので,隅田川に架かる蔵前橋の橋詰蔵前国技館が建てられたが,1985年新国技館両国に完成,国技館は再び隅田川左岸に移った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蔵前」の意味・わかりやすい解説

蔵前
くらまえ

東京都台東区(たいとうく)南東部の地区。隅田(すみだ)川右岸で、1620年(元和6)江戸幕府の米蔵が建設され、その蔵の前にあたる旧奥州街道筋の一帯を御蔵前(おくらまえ)とよび、現在の地名となった。米を扱う商人に札差(ふださし)業を営む者が多く金融の中心となった。現在は玩具(がんぐ)、文具、造花などの問屋が集中している。1954年(昭和29)国技館が完成し、相撲(すもう)で全国に知られるようになったが、狭小なため1985年両国へ再移転した。ここは東京工業大学(旧、蔵前高等工業)の発祥地でもある。墨田区との間の隅田川には蔵前橋が架かっている。

沢田 清]


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百科事典マイペディア 「蔵前」の意味・わかりやすい解説

蔵前【くらまえ】

東京都台東区,隅田川右岸の一地区。江戸時代幕府の米蔵が並び,旗本御家人の俸禄である米を支給し,米を買い取る札差の店も多かった。現在は玩具(がんぐ),文房具,造花などの卸問屋街。第2次大戦後から1985年まで国技館があった。
→関連項目浅草

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「蔵前」の解説

蔵前
くらまえ

東京都台東区東部の地名。近世,隅田川に面して幕府の米蔵(浅草御蔵)が立ち並んでいたため,米蔵前の町並み全体の呼称となった。幕府の旗本らが給料として受け取った米の換金・高利貸を行ったのが蔵前の札差であった。豪商として江戸文化を花開かせた札差らが軒を並べた蔵前も明治期以後は寂れ,関東大震災後の1934年(昭和9)に1~3丁目に区画された。第2次大戦後の町名整理によって4丁目が追加され,今は日本有数の玩具問屋街となっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蔵前」の意味・わかりやすい解説

蔵前
くらまえ

東京都台東区南東部の隅田川西岸の地区。玩具,文房具,造花などの卸売問屋街を形成。地名は江戸幕府の米蔵があり,付近を御蔵前 (おくらまえ) と称したことによる。東京工業大学発祥地 (現在,目黒区大岡山) 。 1950年~85年国技館 (現在,両国) があった。都営地下鉄浅草線の蔵前駅がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「蔵前」の解説

蔵前
くらまえ

東京都台東区南東部,浅草駒形〜柳橋間の地名
江戸時代,隅田川右岸のこの地に幕府の米蔵(御蔵)が並んだので,その周辺をこう呼ぶ。江戸後期の豪商を代表する札差 (ふださし) の店が並んだので有名。

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世界大百科事典(旧版)内の蔵前の言及

【浅草】より

…現在の浅草はきわめて娯楽性の強い地区で,寺の正面の雷門と仁王門(宝蔵殿)の間の東西両側に長さ140mの仲見世と呼ばれる小間物,人形小物,雷おこしなどのみやげ品店があり,周辺は現代化が進んだとはいえ,祭りや酉の市,歳の市などの年中行事にも下町情緒が色濃く残っている。また浅草地区にはさまざまな製造卸問屋街が集まり,皮革・靴材料(浅草6丁目など),食器・ウィンドーサンプル(西浅草),神仏具(元浅草),玩具(浅草橋,蔵前),帽子・洋傘(鳥越)など,それぞれの地区をつくって存在し,すぐ西側の上野(下谷)から中央区へかけての日本最大の問屋集中地域の一部となっている。【正井 泰夫】
[歴史]
 奈良時代以来の古刹浅草寺を中心とする地域であるが,地名の由来には浅い草むらが広がっていたことによるとの説(《江戸砂子》)などがある。…

【浅草御蔵】より

…1620年(元和6)創設。町年寄樽屋藤左衛門元次が設計し,隅田川右岸の湾入部(現,東京都台東区蔵前1・2丁目)を埋め立て,川側344間(約625m)の間に8本の船入り堀を設けて,総面積3万6648坪(約12ha)の敷地が造成された。ここに天明年間(1781‐89)までに51棟254戸前の大倉庫群が建設され(のち67棟まで増設),毎年30万~40万石の米穀が出納された。…

※「蔵前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」