御薬園跡
おやくえんあと
[現在地名]熊本市薬園町
子飼地域北側、豊後街道に面し、菊池往還と久本寺との間に設置された藩直営の薬草園。藩主細川重賢が藩政改革の一環として医学の再春館を設け、宝暦六年(一七五六)付属の薬草園として設置したといわれる。もと再春館は宮寺村の二本木に設立され、その館内に設けられたが、その後重賢の草木学への熱意もあって、竹部村に整備された薬園を設置して独立し、蕃滋園と称した。「銀台遺事」は「医道を学んものゝ薬草のやうしらてはあるへからすとて、建部と云所に薬草をひらきて、繁滋園と名付け、さまさまの薬草を植て物産を知るたよりあらしむ」と記し、治療の基本的知識としての薬草学の確立・振興を企図していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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