御調南条庄(読み)みつぎなんじようのしよう

日本歴史地名大系 「御調南条庄」の解説

御調南条庄
みつぎなんじようのしよう

御調川以南に立地する平安末期から鎌倉時代にかけての荘園で、河南かなん庄ともいう。西は御調別宮みつきべつく(八幡庄)と接する。

嘉応元年(一一六九)一二月日付の備後国大田庄沙汰人実次解并国司外題(高野山文書)には「三調南条」とあり、仁安三年(一一六八)に当庄内の尾道おのみち(現尾道市)五町に大田おおた(現世羅郡世羅町・甲山町一帯)倉敷地が設定されたが、御調南条庄側は自分の荘内であるとして尾道村の押取行為に出たので、大田庄沙汰人実次は備後国衙に訴え出た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む