御調別宮(読み)みつきべつく

日本歴史地名大系 「御調別宮」の解説

御調別宮
みつきべつく

石清水いわしみず八幡宮領の荘園近世八幡やはた庄と称された一帯とほぼ同じであったと考えられる。八幡庄(八幡組とも)は現三原市の宮内みやうち野串のぐしかがり垣内かいち屋中やなか本庄ほんじよう美生みのうと現御調みつぎ郡御調町福井ふくい津蟹つがに植野うえの田上たがみおよび同郡久井くい坂井原さかいばらにあたる。

「中右記」元永二年(一一一九)一二月五日条によると藤原宗忠が石清水八幡宮に「家封備後国十烟」を寄進しているが、これは野串にあたると考えられ、この頃同社領になったと思われる。保元三年(一一五八)一二月三日付の官宣旨(石清水文書)に、石清水八幡宮領として御調別宮が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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