御調郡(読み)みつぎぐん

日本歴史地名大系 「御調郡」の解説

御調郡
みつぎぐん

面積:一六四・〇〇平方キロ
久井くい町・御調みつぎ町・向島むかいしま

県東南部に位置し、北部陸地部の久井町御調町、南部島嶼部の向島町の三町からなる。陸地部と島嶼部の間に三原市・尾道市があり、東は福山市、北は世羅郡・府中市に接する。陸地部の西部の世羅台地から芦田あしだ川の支流御調川が東へ貫流し、その流域に開けた平坦地は水田地帯で、しばしば水害に見舞われるところでもあった。その周辺の高原状の地帯と島嶼部は干害を受けることが多い。

郡名の初見は平城宮出土木簡で「備後国御調郡諫山里」とある。「和名抄」では沼隈郡に諫山いさやま郷があるから、郡域に変更のあったことが知られる。「万葉集」巻一五には「備後国の水調郡の長井の浦に船泊てし夜作る歌」三首がみえ、「水調郡」とも書き、「和名抄」国郡部に「三豆木」の訓注がある。平安時代には「三調」(嘉応元年一二月日付「備後国大田庄沙汰人実次解」高野山文書)とも表記された。近世までの御調郡域はほぼ現御調郡・因島市・三原市東部・尾道市西部・府中市西南部である。

〔原始・古代〕

御調川流域に原始・古代の遺跡が集中するが、縄文時代の遺跡は少ない。弥生時代の遺跡は分布し、古墳時代には各地に古墳が営まれ、横穴式石室をもつ後期古墳が世羅台地や御調川の開析谷両側に続く傾斜面に多く構築され、須恵器の窯跡も多く発見されている。古代山陽道が御調川沿いに当郡を通過し、三原市八幡やはた町を経て久井町坂井原さかいばらに至り、真良しんら(現三原市)へ通じたと考えられ、「延喜式」の者度いつと駅は御調町いちに比定する説が有力。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報