徳元寺跡
とくげんじあと
木場の北部、松尾城跡の西隣にあった曹洞宗寺院。福城山と号し、本尊は如意輪観音であった。応永一三年(一四〇六)酒井伊豆守親貞(栗野院の在地領主と思われる)が亡父正広の菩提を弔うため鹿児島福昌寺の二世竹居を開山に招き、正広を開基として一寺を設けたことに始まるという。初めは崇寿寺と号し、親貞は造立にあたって寺地および背河原(後河原)三町・加冶屋(鍛冶屋)前六〇歩・原田然太郎作二反などの寺領田地を寄せている(同年一〇月三日「酒井親貞寄進状写」地誌備考、「栗野踊溝辺横川廻勤雑記」同書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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