徳分田村(読み)とくぶんでんむら

日本歴史地名大系 「徳分田村」の解説

徳分田村
とくぶんでんむら

[現在地名]坂井町徳分田

上新庄かみしんじよう村の西南にあり、坂井平野の中央部に位置する農村。長禄二年(一四五八)の越前国長崎称念寺光明院寺領塔頭領惣目録(称念寺文書)に「徳分田宗友田四段」とあり、村名は慶長六年(一六〇一)結城秀康が多賀谷三経に与えた知行宛行状(多賀谷文書)に「徳分田村」とみえる。

貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領となり、文政三年(一八二〇)には再び福井藩領となった。正保郷帳によれば田方一千一〇一石余・畠方四五石。天保九年(一八三八)頃の御巡国様ニ付御案内手帳(「越前宗門帳」所収)によると、戸数四四(高持二一・水呑二三)、人数一六〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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