日本歴史地名大系 「徳山城跡」の解説 徳山城跡とくやまじようあと 静岡県:榛原郡中川根町堀之内村徳山城跡[現在地名]中川根町徳山、川根町笹間上、本川根町藤川無双連(むそれ)山にあった南北朝時代の山城。文和二年(一三五三)二月の伊達景宗軍忠状(駿河伊達文書)では城主は鴾彦太郎。江戸時代には本城(ほんじよう)山とよばれ所在地から徳山城と通称される。頂上を中心に東西四〇〇メートルの尾根を利用して構築され、城跡の北方の頂との間二〇〇メートルは犬戻(いぬもど)りといわれる細尾根となっている。文和元年九月、大津(おおつ)城(現島田市)を追落された佐竹兵庫入道(足利直義派石塔義房の家人)らが当城の鴾彦太郎と合流したため、駿河守護今川範国の子範氏は藁科(わらしな)川をさかのぼってまず支城であった護応土(ごおうど)城(現本川根町)を落したのち(同年九月一〇日「伊達景宗軍忠状」同文書)、朝日(あさひ)山に陣を据え当城の攻撃にかかり、文和二年二月二五日これを落城させた(前掲文和二年軍忠状)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by