徳満城跡(読み)とくみつじようあと

日本歴史地名大系 「徳満城跡」の解説

徳満城跡
とくみつじようあと

[現在地名]えびの市東川北

東川北ひがしかわきたの南部、川内せんだい川北岸にある。東方を同川支流せき川が南流し、川北川を合せて当城跡南で川内川に入る。築城の時期は不明だが、北原氏の城であったとされる(三国名勝図会)。応永二年(一三九五)城主北原範兼は伊東氏・肥後相良氏方にくみし、相良氏は真幸まさき院に兵を派遣した。同年範兼は相良祐頼を当城に招き宴を張ったが口論となり、互いに相手を刺してともに死んだ。このことにより北原・相良両氏は断交し、範兼の子久兼は島津元久に通じたという(「西藩野史」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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