徳辺村(読み)とくべむら

日本歴史地名大系 「徳辺村」の解説

徳辺村
とくべむら

[現在地名]菱刈町徳辺

田中たなか村の東と南にあり、重留しげとめ川上流のいずれも西流する楠元くすもと川・しん川・山田やまだ川などの流域に開ける。南は前目まえめ村。大口筋から東へ分れて桑原くわはら般若寺はんにやじ(現吉松町)へ至る般若寺越の道が東西に通る。村名は徳部とも記される。応永一八年(一四一一)八月一〇日の菱刈院地頭職知行所注文写(篠原文書)に光武満三郎知行所として下徳辺地頭分門一がみえる。永禄一〇年(一五六七)一一月二四日島津氏の軍勢が菱刈方の馬越まこし城を攻撃した際、島津貴久の軍勢は徳辺の丘に布陣して、同所から城を攻めた(「長谷場越前自記」「箕輪伊賀自記」旧記雑録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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