日本歴史地名大系 「心像村」の解説
心像村
こころやりむら
南は
心像川の流域に沿い、「村中凡三里」(久保田領郡邑記)とかなり広い範囲に及んでいた。道は今泉村から
天正一八年(一五九〇)の出羽国仙北之内北浦郡心像村御検地目録帳(戸沢文書)によれば、田は計一二一町六段七畝、分米計一千三七九石五斗。畑方・屋敷は計一町二段二畝、分米九石六斗六升。田・畑・屋敷高の合計一千三八九石一斗六升であった。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図では心鑓村五五三石とある。宝永二年(一七〇五)の仙北郡村々御黒印高帳(秋田県庁蔵)では、本田高四六九石余、新田高二〇二石余で、計六七一石余(当高六〇六石余)。このほか鳥海仏供田六升七合があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報