日本歴史地名大系 「今泉村」の解説
今泉村
いまいずみむら
- 岐阜県:岐阜市
- 今泉村
岐阜町の南西にあり、東西一二町・南北八町。東部は狭くなり、
今泉村
いまいずみむら
- 岩手県:陸前高田市
- 今泉村
南流する気仙川の河口に位置する。西は
慶長九年(一六〇四)大条尾張守は当村内二五貫九八〇文を知行地として与えられている(伊達世臣家譜)。同一六年一一月一日、
今泉村
いまいずみむら
- 神奈川県:秦野市
- 今泉村
北を
「永享記」に永享一二年(一四四〇)正月一三日「一色伊予守鎌倉を落て逐電し、相州今泉に有と聞えけれは」とみえる今泉は、当地をさすとする説がある。小田原衆所領役帳には桑原弥七郎「七拾五貫文 中郡波多野今泉」とある。天正九年(一五八一)八月一七日の北条家朱印状(県史三)には「壱貫五百八十文 波多野今泉段銭、但本段銭半
今泉村
いまいずみむら
戦国期に戸沢氏の支配地であったとの伝えや、
慶長八年七月の先竿検地によれば、面積二三町五段六畝一二歩、分米二九三石余。慶長一九年の中竿検地帳(小笠原文書)では、田二五町二段九畝八歩(分米三三八石余)、畑六町一段二畝二三歩(分米一六石余)、屋敷九段九畝六歩(分米九石余)で、合計三二町三段九畝七歩(分米三六五石余)であった。
今泉村
いまいずみむら
- 栃木県:宇都宮市
- 今泉村
南は城下の
今泉村
いまいずみむら
- 群馬県:桐生市
- 今泉村
桐生川右岸の河岸段丘上に位置。西は
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に今泉とみえ、高一千四七石余、八一九石余の北久兵ほか三名の知行地。白河古領村郷高帳では高一千四四七石余。元禄一〇年(一六九七)旗本三枝領となった当村・里守屋・
今泉村
いまいずみむら
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 栃木県:栃木市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
葛下川西岸、
享保九年(一七二四)の和州葛下郡今泉村諸色明細帳写(上中の吉村家文書)によると、家数九〇(本百姓八二、水呑八)、人数四二〇(男一七七、女二三五、僧八)、大工一、桶屋五、造酒屋一、郷士一、古手商一、雑穀商三、牛一三、枝郷二、農作物には稲・木綿・麦、畑作に綿・大豆・粟・黍・蕎麦などを、農間稼として女は木綿ぎに従事していた。
今泉村
いまいずみむら
- 埼玉県:上尾市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 群馬県:伊勢崎市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
雄物川と
「梅津政景日記」元和五年(一六一九)一一月一八日条に、当村仁介と下堀村讃岐とが、川役について争った記事がある。元来川役は下堀村の讃岐が鮭六ツを上納する条件で所持していたが、当村の仁介が八ツにするとして川役を競って入手した。その後も両村間で鮭網漁をめぐる争いがみられた。
享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」には家数六三軒で、枝郷として
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 神奈川県:鎌倉市
- 今泉村
中世には
今泉村
いまいずみむら
- 岐阜県:美濃加茂市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
庄川下流と
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
筑後川左岸に沿い、
今泉村
いまいずみむら
- 東京都:大田区
- 今泉村
矢口村に北と西を囲まれ、東は
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 埼玉県:東松山市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 群馬県:太田市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
- 埼玉県:川越市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 茨城県:土浦市
- 今泉村
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 佐賀県:鳥栖市
- 今泉村
氏神の天満宮(現天満神社)の一〇月二五日の祭礼には
今泉村
いまいずみむら
今泉村
いまいずみむら
- 茨城県:下妻市
- 今泉村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報