朝日日本歴史人物事典 「忌部子首」の解説
忌部子首
生年:生年不詳
7世紀後半から8世紀初頭の中級官僚。名は首や子人とも書く。壬申の乱(672)では大海人皇子(のちの天武天皇)方の倭京将軍大伴吹負に属し,飛鳥の古京を守った。天武9年1月に忌部首から忌部連へと上位の姓を賜ったので,弟の色弗と共に悦びの言上をし,13年12月にはさらに忌部宿禰の姓を賜った。この間の10年3月小錦中のとき,詔によって川島皇子らと共に,帝紀および上古の諸事を記し定めたが,子首は自ら筆を執って録した。大宝2(702)年3月従五位下から従五位上,慶雲1(704)年11月伊勢神宮への奉幣使として鏡や錦を献じた。のち出雲守を経て,死去時は散位,従四位上。
(岩本次郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報