志多町(読み)したまち

日本歴史地名大系 「志多町」の解説

志多町
したまち

[現在地名]川越市志多町

喜多(きた)町の北、東明(とうみよう)寺入口の食違いの土手から松山口へ至る道の両側の町人町。城下北端に位置し、赤間(あかま)川に架かる東明寺橋内側に木戸が設置されていた。城下一〇ヵ町のうち下五ヵ町の一。西側の町裏・広済(こうさい)寺脇・大蓮(だいれん)寺門前も当町分に属した。もと東明寺の構の内であったが町場化し、城下の町より土地が低いので下(した)町と称され(川越索麪)、東明寺橋から西方にかけて松平伊豆守時代に土手が築かれたという(多濃武の雁)。一七世紀後半頃の川越城図では、両側の町屋は東明寺町(喜多町)に含まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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