志子部村(読み)しこべむら

日本歴史地名大系 「志子部村」の解説

志子部村
しこべむら

[現在地名]船岡町志子部

見槻みづき村の南東、見槻川の最上流域に位置する。拝領高は三二石余、本免は五ツ七分。藪役銀一匁三分余を課されており(藩史)、倉吉荒尾氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によれば家数二九。支村に鳥居ヶ平があり、産物は薪・桑・真綿・漆・李・炭。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高七三石余、竈数二四。享保五年(一七二〇)村民六名が当村山稼場内においてそれぞれ植林を行い新林としていたが、村方から吟味の願いが出され主張が認められて従来どおり山稼場とされた(在方諸事控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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