日本歴史地名大系 「志比境村」の解説 志比境村しひざかいむら 福井県:吉田郡松岡町志比境村[現在地名]松岡町志比堺(しひざかい)九頭竜(くずりゆう)川南岸の勝山街道沿いの村で、南側は山地が迫る。大永六年(一五二六)の銘文をもつ二階堂(にかいどう)(現武生市)の白山神社梵鐘に「越前国吉田芝原椎堺村住 清水四郎兵衛藤原吉次作」と記され、「椎堺村」とみえるが、慶長一一年(一六〇六)頃の絵図には柴原(しばはら)郷に含まれていた。正保郷帳では田方一四六石余・畠方七九石余。寛永元年(一六二四)大野藩領、天和二年(一六八二)幕府領となったが、享保四年(一七一九)福井藩領藤巻(ふじまき)村(現上志比村)三六五石余と当村二二六石余および上平吹(かみひらぶき)村(現南条郡南条町)のうち一三八石余との所領替が行われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by