芝原上水(読み)しばはらじようすい

日本歴史地名大系 「芝原上水」の解説

芝原上水
しばはらじようすい

慶長六年(一六〇一)入国した結城秀康が、九頭竜くずりゆう川の一水脈を上水道として修築し、城下に引水したのが起源と考えられる。福井城下の地下水は浅部に鉄分が多く、飲用に不向きであったためで、家老本多富正が工に当たった。取入口(現吉田郡松岡町)中世柴原しばはら郷の地にあたるのでこの名がある。取入口から南西勝山街道沿いに約一〇キロ流れて城下の東北入口、志比口しひぐちに達する。江戸時代には四月から九月まで、上水からの分流によって五三ヵ村の農業用水にも利用され、約四万石余の田地を養ってきた

上水は志比口で二分し、一流は城北の松本まつもと町組・むろ町組・下呉服しもごふく町組の町方と江戸えど町の武家屋敷の飲用に供され、光明寺こうみようじ農業用水底喰そこばみ川廃水に落ちる。また一流は南西の八軒はちけん町の閘門(ドンド)より三味線しやみせん樋で城内に入り、一部は城濠水や御泉水に、多くは城内武家屋敷の飲水となり、さらに柳町やなぎまち御門から城西の町方に出て一乗いちじよう町や紺屋こんや町などの飲用に供され、下流では灌漑に利用された。足羽あすわ川北岸の城下町の大部分の飲水で、「御上水を頂戴す」といったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の芝原上水の言及

【上水道】より

…江戸では1590年(天正18)に神田上水,1653年(承応2)に玉川上水が開かれ,江戸城下町の建設に伴う上水供給の計画が進められている。福井では芝原上水が1606年(慶長11)に竣工し,赤穂では赤穂水道が14年から16年(元和2)にかけて着工され,45年(正保2)の浅野氏の入部以後に,城下町の拡張に伴って整備された。米沢でも元和から寛文にかけて上水施設が整えられた。…

※「芝原上水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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