松岡町(読み)まつおかまち

日本歴史地名大系 「松岡町」の解説

松岡町
まつおかまち

[現在地名]松岡町芝原しばはら春日かすがあおい神明しんめい薬師やくし

九頭竜くずりゆう川が山地から平地に流れ出る口の南岸に立地。古代は「和名抄」に載る足羽郡江上郷」の地というが、真偽不明。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では柴原郷に含まれる。正保郷帳芝原江上しばはらえがみ村とみえ、田方七九〇石余・畠方四七七石余が記される。

〔松岡町の形成〕

正保二年(一六四五)松平昌勝福井藩から五万石の分封を受け藩が成立した。藩の中心としての館第がこの地に置かれることになり、地名も松岡と改められた。「国事叢記」慶安元年(一六四八)一一月三日条に「松岡御館御勝手次第御普請可被成」とあって御館造営が始まるが、これに先立ち、同年二月二二日から三月一六日までに、当村内から館第地・侍屋敷・町屋敷地が割出された残地の検地が行われた。同年の御分地引ケ高残り畑検地水帳(豊島家文書)によると、惣高は六四八・八三七石とあり、正保郷帳との引高六一九・三一三石が城下町地の引高である。翌年の松岡御領御知行分之帳(同家文書)の丑年御知行分帳によると、松岡の地はむろ村・くぬぎ村・くぼ村の三村に分割され、室村は四八五・四五六石、椚村は二二七・九三四石、窪村は三五四・七六石、朝比奈分二〇〇石、このほか出分として一〇二・四石が記される。このうち朝比奈分二〇〇石が館第地・侍屋敷地の引高免租地で、すべて室村高からの引高で町屋敷地は前記各村高に含まれ、慶応四年(一八六八)書写の郡宰心得方大概(松平文庫)によると、町屋敷引地は室村では二五一・五七一石、椚村では一〇五・二三九石、窪村では六三・〇九七石に及び、耕地は正保郷帳村高に比べて半減する。

慶安二年九月からは侍屋敷割も行われた。「国事叢記」の承応元年(一六五二)六月一九日条に「松岡大手口囲出来」とあり、約四ヵ年をかけて完成したらしい。


松岡町
まつおかまち

[現在地名]二本松市松岡

二本松城下六町の一つで、若宮わかみや町の東に続き、慶安二年(一六四九)以降に丹羽氏により町割された。延享二年(一七四五)郷村高辻帳(二本松市史)町名がみえ、一一七石余の高付がなされている。杉田組郷高帳(同書)には古高一三一石余、宝永二年(一七〇五)の検地高本田一〇二石余・新田九石余とある。旧高旧領取調帳では一四九石余。天明八年(一七八八)の「陸市漫録」によれば表通りの長さ二町二二間半、人家五九軒でうち三軒が検断目付


松岡町
まつおかちよう

面積:一八・六一平方キロ

吉田郡の西部に位置し、西と南は福井市、北は坂井郡丸岡まるおか町、東は永平寺えいへいじ町。町の北部九頭竜くずりゆう川が西流し、その流域部に平地が広がる。九頭竜川にほぼ平行して勝山街道が通る。南部吉野よしのヶ岳(五四七メートル)を最高に山地が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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