日本歴史地名大系 「松岡町」の解説
松岡町
まつおかまち
〔松岡町の形成〕
正保二年(一六四五)松平昌勝が福井藩から五万石の分封を受け藩が成立した。藩の中心としての館第がこの地に置かれることになり、地名も松岡と改められた。「国事叢記」慶安元年(一六四八)一一月三日条に「松岡御館御勝手次第御普請可被成」とあって御館造営が始まるが、これに先立ち、同年二月二二日から三月一六日までに、当村内から館第地・侍屋敷・町屋敷地が割出された残地の検地が行われた。同年の御分地引ケ高残り畑検地水帳(豊島家文書)によると、惣高は六四八・八三七石とあり、正保郷帳との引高六一九・三一三石が城下町地の引高である。翌年の松岡御領御知行分之帳(同家文書)の丑年御知行分帳によると、松岡の地は
慶安二年九月からは侍屋敷割も行われた。「国事叢記」の承応元年(一六五二)六月一九日条に「松岡大手口囲出来」とあり、約四ヵ年をかけて完成したらしい。
松岡町
まつおかまち
松岡町
まつおかちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報