志芳庄(読み)しわのしよう

日本歴史地名大系 「志芳庄」の解説

志芳庄
しわのしよう

志和しわ町のほぼ全域を荘域とする。「和名抄」記載の賀茂郡志芳郷を母体として成立したものと思われるが、立荘の事情は不詳。大治三年(一一二八)一二月日付の平正頼譲状(仁和寺文書)に「賀茂郡志芳郷」とみえ、正頼が志芳郷内に地主権を有していたことが知られる。荘名としての初見は「吉記」寿永二年(一一八三)一一月二八日条。建久九年(一一九八)の官宣旨案(壬生家文書)にみえる世能せの村の四至のうち「北限山志菅庄堺榎山口」の「志菅庄」は「志芳庄」の誤記と考えられ、志芳庄は世能荒山せのあらやま(現広島市安芸区)の北に位置したことがわかる。正治二年(一二〇〇)二月二八日付の吉田経房処分状案(京都大学文学部蔵)によれば、領家職は平安末期以降経房の一族に伝えられたが、本家職は上西門院から為寛僧都へ譲渡されている。

建長八年(一二五六)七月三日付の将軍家政所下文(尊経閣文庫蔵)によると「志芳庄西村地頭職」などが天野景経に安堵されており、伊豆天野あまの(現静岡県田方郡伊豆長岡町)を本貫とする天野氏が地頭職を得たことが知られるが、領家は不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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