日本歴史地名大系 「恒吉郷」の解説
恒吉郷
つねよしごう
近世、鹿児島藩が置いた外城(のち郷と称する)の一つで、
慶長四年(一五九九)庄内の乱が始まってまもなく伊集院忠真方の恒吉城が陥落し、その後を寺山四郎左衛門久兼(入道常雲)が守備したが、乱が治まると寺山は恒吉の地頭となり、恒吉郷の整備に着手。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世、鹿児島藩が置いた外城(のち郷と称する)の一つで、
慶長四年(一五九九)庄内の乱が始まってまもなく伊集院忠真方の恒吉城が陥落し、その後を寺山四郎左衛門久兼(入道常雲)が守備したが、乱が治まると寺山は恒吉の地頭となり、恒吉郷の整備に着手。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...