意東庄(読み)いとうのしよう

日本歴史地名大系 「意東庄」の解説

意東庄
いとうのしよう

現東出雲町東部に所在した庄園。「和名抄」にみえる意宇おう筑陽つきや郷が再編成されて意東郷と揖屋いや郷に分れ、前者が京都下鴨社に寄進されて成立した庄園で筑陽庄ともよばれた。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の三番に「意東庄六十三丁金子左衛門三郎女子」とみえ、武蔵国御家人金子氏が地頭であった。一方、南北朝期と推定される賀茂御祖社社領目録(賀茂神社文書)には安来庄と並んで筑陽庄がみえるが、庄園支配に関する史料は残されていない。年未詳の神魂社宝物覚書(秋上家文書)に「いとう・福楽・こや」、永禄七年(一五六四)五月一四日の尼子義久判物(多胡家証文)に「意東福楽小屋」の名がみえるが、京羅木きようらぎ(高野山)とともに富田とだ(現広瀬町)との境に位置したことから、城郭(福良城)が構築され戦闘も行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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