20世紀日本人名事典 「愛新覚羅慧生」の解説 愛新覚羅 慧生アイシンカクラ エイセイ 昭和期の女性 満州国皇帝溥儀の姪。 生年昭和13(1938)年2月26日 没年昭和32(1957)年12月10日 出生地旧満州・新京 学歴〔年〕学習院大学 経歴満州皇帝・溥儀の実弟の溥傑と嵯峨候爵家出身の浩との間に長女として生まれ、当時日満親善のシンボルといわれた。昭和18年から日本に住み、幼稚園から学習院に学ぶ。学習院大学で同級生の大久保武道と恋愛関係となったが、結婚を反対され、慧生の北京行決定とともに自殺を決意。32年12月4日家出し、10日伊豆天城山中で2人の死体が発見された。“天城山心中”とマスコミに騒がれ、2人の書簡集「われ御身を愛す」はベストセラーとなった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「愛新覚羅慧生」の解説 愛新覚羅慧生 あいしんかくら-えいせい 1938-1957 中国,愛新覚羅溥傑(ふけつ)の長女。1938年2月26日生まれ。父は満州国皇帝愛新覚羅溥儀(ふぎ)の弟,母浩(ひろ)は嵯峨実勝(さが-さねとう)の長女。昭和18年に来日,学習院にまなぶ。大学の同級生大久保武道と伊豆(いず)の天城(あまぎ)山で心中,32年12月10日発見された。20歳。ふたりの書簡集「われ御身を愛す」はベストセラーとなった。満州(中国東北部)新京(現長春)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「愛新覚羅慧生」の解説 愛新覚羅 慧生 (あいしんかくら えいせい) 生年月日:1938年2月26日旧満州国皇帝溥儀の姪1957年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by