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溥儀 ふぎ

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美術人名辞典の解説

溥儀

清朝最後の皇帝でのちの満州国皇帝。北京生。姓は愛親覚羅。3才で即位し宣統帝となるが、辛亥革命により退位し、袁世凱の保護のもとに北京の紫禁城に住む。袁の歿後、馮玉祥に追われ天津に閑居。満州事変と共に満州国執政となり、皇帝に即位して康徳帝と称した。日本の敗戦でソ連に抑留され、極東国際軍事裁判に証人として出廷、以後中国に移され、中華人民共和国の一国民としての生活を送る。民国56年(昭和42・1967)歿、62才。

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デジタル大辞泉の解説

ふぎ【溥儀】

宣統帝(せんとうてい)

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百科事典マイペディアの解説

溥儀【ふぎ】

中国,清朝最後の皇帝(宣統帝)。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)/(アイシンギョロ)。1908年3歳で即位。辛亥(しんがい)革命で1912年退位。皇帝の称号と年金を受けた。
→関連項目愛新覚羅浩川島芳子醇親王載【ほう】鄭孝胥溥傑ベルトルッチ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

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世界大百科事典 第2版の解説

ふぎ【溥儀 Pǔ yí】

1906‐67
中国,清朝最後の皇帝。在位1908‐11年。年号により宣統帝という。また満州国の皇帝としては康徳帝といい,在位1934‐45年。姓は愛新覚羅(アイシンギヨロ),字は浩然。光緒帝の弟載灃(さいほう)(醇親王)の長子として生まれ,西太后の意志で3歳で即位した。辛亥革命により退位後も中華民国臨時政府の清室優待条件により大清皇帝の尊号を保持し,紫禁城内に住んで小朝廷を維持していたが,1924年馮玉祥ら国民軍の北京占領に際し,優待条件を取り消され天津に移った。

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大辞林 第三版の解説

ふぎ【溥儀】

1906~1967) 中国、清の第一二代皇帝(在位1908~1912)宣統帝の名。清朝最後の皇帝。辛亥革命で退位。1932年日本軍部の満州建国の際執政に擁立され、34年皇帝となる。第二次大戦後、戦犯となったが、59年釈放。愛新覚羅溥儀。プーイー。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

溥儀
ふぎ
Pu-yi

[生]光緒32(1906).2.7. 北京
[没]1967.10.17. 北京
中国,清朝最後の皇帝宣統帝 (在位 1908~12) 。姓は愛新覚羅。辛亥革命で退位。 1924年馮玉祥のクーデターの際,紫禁城から北京日本公使館に避難した。 25年天津の日本租界に閑居。満州事変が起ると日本軍特務機関に誘い出されて満州 (東北地方) に移り,32年執政,34年満州国皇帝となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

溥儀
ふぎ / プーイー
(1906―1967)

中国の清(しん)朝最後の皇帝(宣統帝、在位1908~12)、のち「満州国」皇帝(康徳帝、在位1934~45)。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)。満族。光緒(こうちょ)帝の弟醇(じゅん)親王載(さいほう)の子。1908年、3歳にならずして第12代皇帝に即位、宣統帝と称した。辛亥(しんがい)革命の結果、12年退位、そのまま北京(ペキン)の故宮に住んでいたが、24年、馮玉祥(ふうぎょくしょう/フォンユイシヤン)のクーデターによって北京を追われ、日本の援助もあって天津(てんしん/ティエンチン)の日本租界に閑居した。31年(昭和6)「満州事変」に際して日本軍にひそかに連れ出され、32年「満州国」執政、34年その「皇帝」となった。翌年、日本を訪問、日本の皇室と兄弟の契りを結ぶ虚構がつくりだされ、その結果「首都」新京(長春)に神道(しんとう)による「建国大廟(たいびょう)」が建てられた。40年、第2回訪日。45年「満州国」崩壊とともに退位を宣言し、日本に逃れる途中、当時のソ連軍に捕らえられて、ハバロフスクに抑留された。翌年8月、極東国際軍事裁判(東京裁判)の証人として出廷、50年、身柄をソ連から中華人民共和国に移され、撫順(ぶじゅん/フーシュン)の戦犯管理所に収容された。51年、特赦によって北京に帰り、61年、中国人民政治協商会議文史研究委員会の専門委員。64年数奇を極めた自伝『わが半生』を書いて出版した。同年、政治協商会議全国委員に選出されたが、67年10月、死去した。[安藤彦太郎]
『小野忍・野原四郎・新島淳良・丸山昇訳『わが半生』上下(1977・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の溥儀の言及

【満州事変】より

…またジャーナリズムでは石橋湛山の率いる《東洋経済新報》が満蒙放棄論を主張したが,大勢に抗することはできなかった。
[〈満州国〉樹立]
 関東軍は,軍中央の反対で当初企図していた満州領有は断念したものの,親日政権樹立,ついで独立国樹立をめざして着々と工作をすすめ,1931年11月には清朝廃帝の愛新覚羅溥儀(ふぎ)を天津の日本租界から満州へ脱出させた。また日本はイギリスなどの対日宥和(ゆうわ)政策を利用し,国際連盟で現地への調査委員会派遣を提案,12月これが可決され,イギリスのリットンV.A.G.R.Lytton(1876‐1947)を長とする調査委員会が派遣されることとなった。…

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