慈徳寺跡(読み)じとくじあと

日本歴史地名大系 「慈徳寺跡」の解説

慈徳寺跡
じとくじあと

花山かさん山の南東麓、京都市山科区の元慶がんけい寺の近くにあった寺。「扶桑略記」永延元年(九八七)三月一〇日条に阿闍梨五口が置かれたことがみえるが、「小右記」長保元年(九九九)八月二一日条に「今日東三条院供養慈徳寺」とあり、円融天皇女御で一条天皇母の東三条院詮子によって落慶供養が営まれている。詮子は藤原道長の姉で、道長が権勢の座に就くにあたって大いに力があり、このため道長は生存中も没後も詮子に尽し、慈徳寺に関する記事は「御堂関白記」に散見する。落慶供養の前の八月一八日条には「慈徳寺見作造」と工事の様子を監督、一九日・二〇日には詮子御幸のことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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