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慶寿院 けいじゅいん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

慶寿院 けいじゅいん

1514-1565 戦国時代,将軍足利義晴の正室。
永正(えいしょう)11年生まれ。近衛尚通(このえ-ひさみち)の娘。天文(てんぶん)3年義晴と結婚,5年義輝を生む。永禄(えいろく)8年5月19日松永久秀,三好義継らに義輝の居館がおそわれた際,自害。52歳。義輝も討ち死にした。

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朝日日本歴史人物事典の解説

慶寿院

没年:元亀2.2.18(1571.3.13)
生年:明応2(1493)
本願寺中興の祖,蓮如の6男蓮淳の娘。蓮如の法を嗣いだ実如の子円如と結婚。大永1(1521)年,円如没により出家し融誓と称す。10歳で本願寺を継職した子の証如を補佐,さらに12歳で継職した証如の長男,顕如の補佐を勤める。北国(加賀一揆)の和平,本願寺の門跡勅許について公家,武家との交渉に当たるなど,本願寺の護持と発展に尽力する。天文8(1539)年,朝廷より『栄華物語』を贈られる。翌年,青蓮院尊鎮親王より「慶寿院」の院号と「鎮永」の法名を受ける。

(岡村喜史)

慶寿院

没年:永禄8.5.19(1565.6.17)
生年:永正11(1514)
室町幕府第12代将軍足利義晴の室,近衛尚通の娘。実名は不詳。天文3(1534)年義晴に嫁ぎ,同19年義晴の死とともに剃髪。慶寿院と号した。永禄8(1565)年松永久秀,三好義継勢に二条第を襲われ自害。子の将軍義輝も敗死した。実家の所領を巡る訴訟が有利に運ぶよう幕府に働きかけたり,官途を斡旋した記録が残り,将軍家妻室として一定の政治的権限を有していたことがうかがわれる。<参考文献>『言継卿記』『披露事記録』,田端泰子「戦国期女性の役割分担」(『日本女性生活史』中世)

(湯川敏治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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