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近衛尚通 このえ ひさみち

美術人名辞典の解説

近衛尚通

室町後期の公卿。関白近衛政家の子。関白太政大臣に至り、出家して法名を大証と称す。能書で知られ、その書流を尚通流、また古近衛流ともいう。日記に『後法成寺関白記』がある。天文13年(1544)歿、73才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近衛尚通 このえ-ひさみち

1472-1544 室町-戦国時代の公卿(くぎょう),歌人。
文明4年1月28日生まれ。近衛政家(まさいえ)の子。明応2年(1493)関白,氏長者となる。永正(えいしょう)11年太政大臣。従一位。宗祇(そうぎ)から古今(こきん)伝授をうけ,書の流儀は古近衛流と称された。天文(てんぶん)13年8月26日死去。73歳。通称は後法成寺(ごほうじょうじ)関白。著作に「尚通公記」「日本紀和歌注」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

近衛尚通

没年:天文13.8.26(1544.9.13)
生年:文明4.10.12(1472.11.12)
戦国時代の公家。父は近衛政家。母は越前加治氏の娘。文明15(1483)年従三位に叙せられて以来,関白を2度歴任。永正16(1519)年准三后となる。日記『後法成寺関白記』(1506~36,途中一部を欠く)では,細川政元の死後,実権を巡って争う細川澄元細川高国の洛中争乱を「戦国の時のごとし」と中国の春秋戦国時代に例え,その不安を「物騒極まり無し」「恐怖極まり無し」などと記している。それに対し,晩年に目撃した天文法華の乱については,客観的な事実を記述するにとどめている。若いころ,連歌師宗祇から古今伝授を受け,公家や連歌師だけでなく武士にまで広く近衛邸を開放し,学問や文芸の普及にも努めた。天文2(1533)年出家。号は後法成寺。<参考文献>中世公家日記研究会編『戦国期公家社会の諸様相』

(湯川敏治)

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世界大百科事典内の近衛尚通の言及

【古今伝受(古今伝授)】より

…常縁はこれを連歌師の飯尾宗祇に相伝し,以後この系統が古今伝受の正当とみなされ尊重されてゆく。この後,宗祇はこれを三条西実隆,近衛尚通(ひさみち),牡丹花肖柏などに相伝し,ここで古今伝受は三流に分かれる。すなわち,実隆と尚通に相伝された古今伝受は,そのまま三条西家,近衛家において受け継がれ家の秘伝となり,肖柏に相伝された古今伝受は,宗訊,宗珀など連歌師に伝えられ堺伝受,奈良伝受となっていった。…

※「近衛尚通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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