朝日日本歴史人物事典 「近衛尚通」の解説
近衛尚通
生年:文明4.10.12(1472.11.12)
戦国時代の公家。父は近衛政家。母は越前加治氏の娘。文明15(1483)年従三位に叙せられて以来,関白を2度歴任。永正16(1519)年准三后となる。日記『後法成寺関白記』(1506~36,途中一部を欠く)では,細川政元の死後,実権を巡って争う細川澄元と細川高国の洛中争乱を「戦国の時のごとし」と中国の春秋戦国時代に例え,その不安を「物騒極まり無し」「恐怖極まり無し」などと記している。それに対し,晩年に目撃した天文法華の乱については,客観的な事実を記述するにとどめている。若いころ,連歌師宗祇から古今伝授を受け,公家や連歌師だけでなく武士にまで広く近衛邸を開放し,学問や文芸の普及にも努めた。天文2(1533)年出家。号は後法成寺。<参考文献>中世公家日記研究会編『戦国期公家社会の諸様相』
(湯川敏治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報