改訂新版 世界大百科事典 「ドージャの乱」の意味・わかりやすい解説
ドージャの乱 (ドージャのらん)
1514年にハンガリーで起きた農民戦争。エステルゴム大司教のバコーツBakócz Tomás(1442ころ-1521)が国内不安とオスマン・トルコによる略奪の危機を共に解決しようとして,対トルコ十字軍編成を宣言したとき,これに応じて農民兵の大軍がペシュトに集まり,市内の職人や村の聖職者,小貴族も合流した。しかし十字軍計画に不信を抱く大貴族は武装農民に恐怖を覚え,大司教に計画の中止を説得し,自領の農民の武装を実力で抑えた。この十字軍延期と大貴族の敵対行動は農民を激怒させた。農民の指導者メーサーロシュ・レーリンツMészáros Lőrincは領主特権の制限や農民身分の向上を要求した。十字軍の司令官に任命されていたドージャ(セーケイ)・ジェルジDózsa(Székely)György(1470ころ-1514)は,農民に味方してこれを指揮し,大貴族の連合軍と戦った。しかし農民軍は敗れ,ドージャらは処刑された。この戦争の背景には,フス派の影響や,商品生産の拡大に伴う農民・商工業者の封建貴族への反発があった。また戦争のあと大貴族と中小貴族の同盟ができ,貴族層の対農民支配が強化され,〈再版農奴制〉の確立がもたらされた。これは政治的には農民の活力の抑圧であったから,1526年のモハーチの戦の敗戦の原因を作ったともいえよう。
執筆者:南塚 信吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報