朝日日本歴史人物事典 「慶祚」の解説
慶祚
生年:天暦7(953)
平安中期の天台宗僧。生年は天暦1,また天暦9年とも。俗姓は中原氏。勝算に従い,のちに余慶の四神足のひとりに数えられる。円仁系,円珍系門徒の対立のなかで,円珍系の余慶の下山後も比叡山千手院を守ったが,正暦4(993)年に石蔵(京都市左京区岩倉)の大雲寺に移り,さらに園城寺の竜雲坊に住んだ。源信と並び称される学徳で,宋の源清が送ってきた新書五部のうち,『竜女成仏義』を批判する『法華竜女成仏権実疑難』を著した。円融三諦と『摩訶止観』の病患境法門を説いて増賀の病気を治したとの説話もある。慶祚が園城寺に入ったのを契機として衆僧が集まり,同寺の隆盛が始まったという。
(岡野浩二)
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