コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

余慶 よけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

余慶
よけい

[生]延喜19(919)頃.筑前
[没]正暦2(991).2.
平安時代の天台宗の僧。勅諡は智弁。智証大師流の興隆者として有名。園城寺の明仙のもとで天台学を習い,行誉に密灌を受けた。天元2 (979) 年園城寺長吏となり,永祚1 (989) 年天台座主に補せられたが,慈覚大師流の山門徒が蜂起して宣命を奪ったので,朝廷は重ねて前唐院 (慈覚の廟) で宣命を下した (永祚宣命) 。両派の確執がなお治まらないのでほどなく座主を辞し,権僧正に任じられた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

余慶 よけい

919-991 平安時代中期の僧。
延喜(えんぎ)19年生まれ。天台宗。近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺(寺門派)の明仙(みょうせん)に師事,のち同寺長吏となる。天元4年法性寺(ほっしょうじ)座主(ざす),永祚(えいそ)元年天台座主となったが,山門派(円仁系)と寺門派(円珍系)の争いをまねき,山城(京都府)岩倉の観音院(大雲寺)にうつった。観音院僧正とよばれた。正暦(しょうりゃく)2年閏(うるう)2月9日死去。73歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。俗姓は宇佐。諡号(しごう)は智弁。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

余慶

没年:正暦2.閏2.18(991.4.5)
生年:延喜19(919)
平安中期の天台僧。明仙 の弟子。円珍流の興隆に努め,多くの優秀な弟子を育てた。天元2(979)年に園城寺長吏。同4年には法性寺座主となるが,円仁流の反対にあって停止,山門・寺門両派の闘争の原因となった。永祚1(989)年に天台座主となったときも反対にあって3カ月で辞している。

(三橋正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

よけい【余慶】

祖先の善行によって子孫が得る幸運。 ↔ 余殃よおう 「祖父の-を蒙る」 「積善の家に-あり/平家 2
おかげ。余光。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

余慶
よけい
(919―991)

平安中期の天台宗の僧。「よきょう」ともよぶ。筑前(ちくぜん)国(福岡県)早良(さがら)の生まれ。宇佐氏。園城寺(おんじょうじ)の明仙(みょうせん)に師事し、行誉(ぎょうよ)から灌頂(かんじょう)を受ける。979年(天元2)権少僧都(ごんのしょうそうず)となり園城寺長吏となる。翌年岩倉観音(かんのん)院に阿闍梨(あじゃり)五口を置き密教道場として整備。981年(天元4)11月法性寺座主(ざす)に任ぜられると、延暦寺(えんりゃくじ)の僧徒が嗷訴(ごうそ)し、山門・寺門の確執が深まる。よって座主を辞し岩倉に退き、その経営にあたった。989年(永祚1)9月、天台座主に任ぜられると、延暦寺僧都はその宣命(せんみょう)を奪う。12月天台座主を辞す。験力にまつわる伝承もある。[木内曉央]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の余慶の言及

【蓋鹵王】より

…諱(いみな)は慶司。中国史書には余慶とあり,《日本書紀》では加須利君とも記す。457年,みずから宋に封冊を求めて鎮東大将軍に任ぜられ,翌458年には重臣11人の任官も要請するなど,国際社会における地位の強化と国内支配の権威づけにつとめた。…

※「余慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

余慶の関連キーワード大雲寺(京都市)瀬戸内(市)参知政事平安時代余慶尚子蓋鹵王有る良源善行平家没年子孫祖父祖先観修積善余薫余殃文慶源泉

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

余慶の関連情報