日本歴史地名大系 「戸倉町」の解説 戸倉町とぐらまち 長野県:埴科郡戸倉町面積:二五・六一平方キロ町の中央を南の坂城(さかき)町から流下する千曲川があり、東部は五里(ごり)ヶ峰(みね)山系によって、更埴(こうしよく)市森地区に接し、西部は冠着(かむりき)山を境に更級(さらしな)郡上山田(かみやまだ)町と東筑摩(ひがしちくま)郡坂井(さかい)村と隣接する。北部は更埴市に接し、善光寺平の南端に位置する。西部の冠着山山麓の楪葉(ゆずりは)遺跡からは縄文土器が出土し、羽尾(はねお)・仙石(せんごく)扇状地からは弥生土器の出土する巾田(はばた)遺跡・箭塚(やづか)遺跡等がある。戸倉の地名の初見は、明徳四年(一三九三)の某宛行状(笠系大成附録)に坂木の領主薩摩氏が「十蔵」を小笠原辰寿丸の領地として与えている。 戸倉町とぐらちよう 北海道:渡島支庁函館市旧湯川村地区戸倉町[現在地名]函館市戸倉町・湯川町(ゆのかわちよう)三丁目昭和一一年(一九三六)から続く町。同年六月に亀田(かめだ)郡湯川村が湯川町となった時、旧大字下湯川村の字戸倉・字上野(うえの)の各一部を中心に字湯ノ沢(ゆのさわ)の一部(一筆)を加えて、字戸倉町とした(湯川町字地番改正調書)。同年の字戸倉町の戸数一三三(湯川沿革史)。同一四年に湯川町は函館市と合併し、函館市字戸倉町となり、翌年同市戸倉町となった。昭和三〇年の国勢調査では世帯数一七五・人口九〇二、就業人口比で製造業関係者が二四パーセント、農業関係者が二二パーセントを占めていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by