上戸倉村(読み)かみとぐらむら

日本歴史地名大系 「上戸倉村」の解説

上戸倉村
かみとぐらむら

[現在地名]村松町上戸倉

下戸倉村の南。はく山の西麓、能代のうだい川上流の谷底平野にある。正保国絵図に高一七六石余、村松藩領。天保二年(一八三一)の村極書(金子家文書)によると、天保の飢饉の際、他村の入会を差止めたため、上大蒲原かみおおかんばら村・下大蒲原村(両蒲原村)と争いが起きた。しかし当村では荻・萱などを上納物とするために一日早く刈取ることとし、その後、両蒲原村の入込みを許した。


上戸倉村
かみとぐらむら

[現在地名]戸倉町磯部いそべ

慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳の頃は、上戸倉村と下戸倉村は一つで「戸倉村高七百八拾六石二斗四升八合」であった。両村に分れたのは、元和八年(一六二二)に坂木五千石の幕府領が成立した時であろう。

「戸倉」の名称が現れるのは南北朝時代で、明徳四年(一三九三)三月一二日付の某宛行状(笠系大成附録)によれば、この頃坂木の薩摩氏の支配下にあったようで、小笠原辰寿丸の領地として与えられている。この時南条之郷・くの木原之庄も同時に与えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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