戸島宿(読み)としまじゆく

日本歴史地名大系 「戸島宿」の解説

戸島宿
としまじゆく

[現在地名]河辺町戸島

野田高屋のだこうや村にあった羽州街道の宿駅久保田くぼた城下から三里七町余(秋田風土記)。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に「としま町」とある。近世に宿駅に定められ、和田わだ宿とともに月を二分して駅務を果した(秋田風土記)本陣は村の南、杉の生垣を巡らした広い屋敷内にあり、間口一八間、奥行六間、それに間口四間、奥行六間の曲りをつけた建物が立ち、佐竹氏・津軽氏の居室もあったという(河辺町郷土誌)

享和二年(一八〇二)伊能忠敬は「測量日記」に「戸嶋村、駅次、上十五日、和田・戸嶋の間一里と言、戸嶋入口ニ戸嶋川あり、中渡と言、休、宿半蔵、村外より右田小土手山あり、十四五丁、其外田地なるべし、左田十丁斗、戸嶋川を渡る、巾十二間許、渡レバ川原、則豊成」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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