野田高屋村(読み)のだこうやむら

日本歴史地名大系 「野田高屋村」の解説

野田高屋村
のだこうやむら

[現在地名]河辺町戸島としま

岩見いわみ川の下流左岸の平坦地にある。東は川を隔てて松淵まつぶち村に、西は畠谷はたや村に隣接、北には岩見川を隔てて豊島としま城跡がある。近世には戸島宿があった。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に「六百五拾弐石九斗一升三合 たかや村・つはき川村」「百三石弐斗三升五合 としま町・川尻村」とある。慶長二年(一五九七)の免目録御蔵入御物成納口之帳(秋田家文書)には「高屋村」「としまの町村」とあり、二村に分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む