20世紀日本人名事典 「戸板関子」の解説 戸板 関子トイタ セキコ 明治・大正期の教育者 戸板裁縫学校創立者。 生年明治2年4月19日(1869年) 没年昭和4(1929)年1月14日 出生地陸前国仙台北五番町(宮城県仙台市) 学歴〔年〕松操女学校,フェリス女学校卒 経歴18歳で小学校教員となり、その後、フェリス女学校、英和女学校、東京女学館などで裁縫を教えた。明治35年裁縫教育の集大成として、東京・芝公園に戸板裁縫学校を設立。大正5年三田高等女学校、11年三田博和女学校などを併設した。著書に「戸板裁縫全集」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸板関子」の解説 戸板関子 といた-せきこ 1869-1929 明治-昭和時代前期の教育者。明治2年4月19日生まれ。22年から横浜のフェリス女学校で英語をまなぶかたわら,裁縫教師をつとめる。35年東京に戸板裁縫女学校(現戸板女子短大)を創立。裁縫技術教授のスピード化をめざして分解式一斉教授法を実施,裁縫教育の近代化の道をひらいた。昭和4年1月14日死去。61歳。陸奥仙台出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by