20世紀日本人名事典 「戸沢百花羞」の解説 戸沢 百花羞トザワ ヒャッカシュウ 明治・大正期の俳人 生年明治6年10月(1873年) 没年大正2(1913)年5月13日 出生地秋田県秋田市 本名戸沢 盛治 別名旧号=古巣,古鐸 学歴〔年〕二高医学専門部卒 経歴横手市に医を業とした。在学中より子規の俳句革新に関心をもち、仙台百文会同人となり、古巣または古鐸と号し、若尾瀾水らと新俳句を研究。のち石井露月が秋田に日本派俳句を唱導するのに響応し、百花羞と改号して東北俳壇一方の雄と称された。明治40年「三千里」の旅にあった河東碧梧桐を秋田に迎え、連日の句歴に切磋琢磨したという。日本派東北俳壇の黄金期を築いた。著書に実弟の僕天鵬編「百花羞居士遺稿」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸沢百花羞」の解説 戸沢百花羞 とざわ-ひゃっかしゅう 1873-1913 明治-大正時代の俳人。明治6年10月生まれ。秋田県横手の開業医。二高医学専門部在学中に正岡子規(しき)の俳句革新の動きにふれ,仙台百文会同人となり新俳句を研究。のち石井露月(ろげつ)とともに日本派俳句運動を推進。河東碧梧桐(かわひがし-へきごとう)とも交遊があった。大正2年5月13日死去。41歳。名は盛治。別号に古巣,古鐸。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by