日本歴史地名大系 「戸穴村」の解説 戸穴村ひあなむら 大分県:佐伯市戸穴村[現在地名]佐伯市戸穴 中の内(なかのうち)・宇戸(うど)・河内(こうち)海崎(かいざき)村に南および東側一部を挟まれ、南端は霞(かすみ)ヶ浦に面する。戸穴庄の遺称地。慶長六年(一六〇一)六月の佐伯庄戸穴村検地指出帳(佐伯藩政史料)によると、戸穴村に大戸穴(おおひあな)村・海崎村・百枝(ももえだ)村・狩生(かりう)村・車(くるま)村・代後(だいご)浦・笹良目(ささらめ)浦・大入(おおにゆう)島・内野(ないの)浦・中(なか)浦(中河原)・晞干(ひるほし)浦・指夫(させぶ)浦・古江(ふるえ)浦と津井(つい)浦・浅海井(あざむい)浦・長田(ながた)島(長田浦)(現上浦町)が属し、文禄二年(一五九三)の検地高一千七四三石余。 戸穴村とあなむら 千葉県:君津市旧望陀郡地区戸穴村[現在地名]君津市広岡(ひろおか)稲滝(いなたき)村の南に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳には「浅ケ戸村」五〇九石とある。「浅ケ戸村」とは当村と朝柄(あさがら)村をさすものか。寛文四年(一六六四)の土屋利直領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、久留里藩領。以降の領主の変遷は向郷(むかいごう)村に同じ。元禄郷帳では高二五石余、天保郷帳では高三五石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳によると家数七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by