君津市(読み)キミツシ

デジタル大辞泉 「君津市」の意味・読み・例文・類語

きみつ‐し【君津市】

君津

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日本歴史地名大系 「君津市」の解説

君津市
きみつし

面積:三一八・八三平方キロ

県の中西部に位置する。西は東京湾に面し、北は木更津市、東は市原市、南東は夷隅いすみ大多喜おおたき町・安房郡天津小湊あまつこみなと町、南は鴨川市・富津市に接する。小糸こいと川流域の全域および小櫃おびつ川の上・中流域を市域とし、臨海部・平野部・山間部と変化に富む。地形は南および南東に高く北西および西に低い。山林が市域全体の三分の二を占める。しかし小糸川・小櫃川の中流域は両河川の形成した肥沃な農地が展開し、西側の臨海工業地帯とともに豊かな田園工業都市を形成している。おもな道路は広域幹線道路の国道一六号・一二七号および国道四一〇号、また地域間道路として君津―丸山まるやま線をはじめ、主要地方道君津―天羽あまは線などがある。鉄道は臨海部をJR内房線が通り、市街地中心部に君津駅がある。また内陸部をJR久留里線が通り、小櫃・久留里くるり上総松丘かずさまつおか上総亀山かずさかめやまなどの駅がある。

〔原始〕

主要遺跡として二ヵ所の旧石器遺跡があり、このうち内箕輪の星谷上うちみのわのほしやつうえ遺跡では約一万五千年前の関東ローム層から約一〇〇個の石器が発見されている。三直みのう貝塚をはじめとする縄文遺跡は市内約八〇ヵ所に及ぶ。木製品を多量に出土した常代とこしろ遺跡などの弥生遺跡も所在し、初期須恵国造との関連が考えられる八重原やえはら古墳群、馬来田国造との関係が考えられる小櫃地域周辺の古墳群など古墳時代の遺跡も多い。

〔古代・中世〕

塔礎石、多量の布目瓦を出土した九十九坊くじゆうくぼう廃寺は白鳳期の創建とされる。律令時代には周淮すえ郡衙が現こおり辺りに置かれたといわれる。「和名抄」所載の同郡山家やまいえ郷・山名やまな郷・額田ぬかた郷・三直郷・湯坐ゆえ郷が市域に比定される。中世に入ると周東すとう郡・周西すさい郡が史料にみえ、畔蒜あびる庄などが成立し、周東氏・周西氏・秋元氏・小櫃氏などが割拠した。文治二年(一一八六)には畔蒜庄が紀伊熊野神領となり、また弘安六年(一二八三)には畔蒜南庄亀山郷が鎌倉円覚寺領となっている。鎌倉末から室町期にかけて東氏と金沢称名寺の所領相論が周東郡内をめぐって行われた。応永期(一三九四―一四二八)には上総本一揆の与党岩松氏の所領が没収され、鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「君津市」の意味・わかりやすい解説

君津〔市〕
きみつ

千葉県南西部,小糸川の流域および小櫃 (おびつ) 川の中・上流域を占め,東京湾に面する市。 1970年君津,小糸,上総の3町と清和 (せいわ) ,小櫃の2村が合体し,71年市制。ノリや貝の養殖,米作を主とする半農半漁の集落であったが,1965年小糸川河口の右岸を埋立て,京葉工業地域の南部拠点として銑鋼一貫工場が進出して以来,工業都市に変貌。住宅開発も進んでいる。内陸部は水田耕作中心から園芸農業化が進行。市内には鹿野山,亀山温泉,寂光不動,鹿野山神野寺,野生のサル生息地 (天然記念物) などの名所,観光地がある。鹿野山を中心とする一帯は南房総国定公園に,南西部の高宕山を中心とする山岳地帯は高宕山県立自然公園に,南東部の清澄山北麓は養老渓谷奥清澄県立自然公園に属している。鹿野山神野寺表門は重要文化財。ノリ養殖近江屋甚兵衛の墓,九十九坊廃寺跡は県史跡。 JR内房線および国道 16号線,127号線が通る。面積 318.81km2。人口 8万2206(2020)。

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