日本歴史地名大系 「戸谷新右衛門墓」の解説 戸谷新右衛門墓とやしんえもんのはか 和歌山県:橋本市馬場村戸谷新右衛門墓[現在地名]橋本市南馬場南馬場(みなみばば)の丁田(ちようだ)の大師堂西方にあり、県指定史跡。新右衛門は貞享三年(一六八六)の生れで、庄屋として近隣の人望を集めていた。当時、高野山領の村々は高野山の不法な讃岐枡使用と隠税で苦しめられ、そのうえ飢饉と凶作で疲弊していた。新右衛門はこの状況を度々高野山へ訴えたが聞きいれられず、享保五年(一七二〇)江戸の寺社奉行に直訴し、高野山は幕府役人によって調査され、不正が露見した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by