戸野目村
とのめむら
[現在地名]上越市戸野目
門田新田・戸野目古新田の南に位置し、西は上稲田村。戸野目川・重川が流れ、重川用水が当地でこの両川に合流する。江戸時代高田城下の札ノ辻に集められた諸街道のうち、当村は松之山街道の城下町出入口村となったため、足軽長屋も置かれ、小字相包町もでき商戸・酒店・雑商もあってしだいに賑いをみせた。
文禄元年(一五九二)と推定される一二月一七日の本願寺教如印判状・下間頼廉副状(本覚坊文書)に村名がみえ、当時真宗門徒の講があったことが知られる。文禄頃の頸城郡絵図に「御料所此外四方分とのめ村 中」とみえ、本納一一四石五斗四升五合・縄高二〇二石五斗七升一合一勺、家一二軒・四六人。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 