房川の渡
ぼうせんのわたし
現在の利根川橋の下に位置。近世の日光街道の栗橋(現埼玉県北葛飾郡栗橋町)―中田間の利根川の渡船場。一般の下り(江戸行き)渡船業務は中田の坂屋(上りは栗橋の船問屋)、大名の渡河は古河城下から出張の水主(船子)によって行われた(古河藩のおもかげ)。一四戸ほどの水主は城下の厩町に常住し、古河城の船庫に八挺櫓、一二挺櫓の大型屋形船をもっていたという。
将軍の日光参拝の際は臨時の船橋を設営することもあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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