県最西端を占め、東は
市域は、洪積台地を西の渡良瀬川、東の浸食谷がそれぞれ南北方向に断ち切ってできた東西二・九キロ、南北八・六キロほどの細長い地形上に展開。標高は北部で二〇メートル内外、南部で一六メートル内外で、南にいくにつれて低くなる。比高もきわめて低く、西部・南部一帯には数多くの小沼が散在する湿地が続き、古来、洪水に苦しむことがしばしばであった。
古河の名は「万葉集」巻一四の未勘国相聞往来歌中の「
先土器時代の石器は大字
古代の国郡設定において当市域がどこに属したか明らかでない。近世には下総国葛飾郡であったが、中世以前の諸記録は、下総国とするもの、下野国とするもの、武蔵国と下野国の境とするものなどさまざまである。台地の続き具合からみても、「延喜式」「和名抄」の下野国寒川郡と下総国嶋
嶋郡であった可能性が強いが、市域の南部と北部とで管属を異にしたかもしれない。大字駒ヶ崎を除く中部・南部地域では、各地区ごとに下総一宮の香取神宮(現千葉県佐原市)を分祀して鎮守としているのに対し、北部では香取社はまったく存在しないか、存在してもきわめて影が薄く、明確な違いが認められる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報