扇谷正造(読み)オウギヤ ショウゾウ

20世紀日本人名事典 「扇谷正造」の解説

扇谷 正造
オウギヤ ショウゾウ

昭和期の評論家,ジャーナリスト 日本青少年研究所理事長;元・「週刊朝日」編集長。



生年
大正2(1913)年3月28日

没年
平成4(1992)年4月10日

出生地
宮城県遠田郡涌谷町

学歴〔年〕
東京帝大文学部国史学科〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
菊池寛賞(第1回)〔昭和28年〕,NHK放送文化賞〔昭和58年〕

経歴
昭和10年朝日新聞社入社。社会部記者、中国・マニラ各特派員、整理部次長などを経て、22年から33年まで「週刊朝日」編集長。その後、朝日新聞学芸部長、論説委員を経て43年退社。「週刊朝日」時代に大幅な部数増を記録し、名編集長と謳われる。日本青少年研究所理事長、日本エッセイスト・クラブ、東大新聞理事、NHK放送用語委員会委員などを兼ね、多彩な評論活動を続けた。60年には「東大新聞」縮刷版17巻を刊行著書は「現代文書き方」「ビジネス文章論」「えんぴつ軍記」「現代のマスコミ」「ジャーナリスト入門」「現代ジャーナリズム入門」「人間こそ宝庫」「君よ、朝のこない夜はない」「問題意識とは何か」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「扇谷正造」の解説

扇谷正造 おうぎや-しょうぞう

1913-1992 昭和時代のジャーナリスト,評論家。
大正2年3月28日生まれ。朝日新聞社会部記者などをへて昭和22年「週刊朝日」デスク,26年編集長。週刊誌ジャーナリズムに新境地をひらいたとして,28年菊池寛賞。のち学芸部長,論説委員。平成4年4月10日死去。79歳。宮城県出身。東京帝大卒。著作に「えんぴつ軍記」「現代文の書き方」など。
格言など】名刺仕事をするな

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「扇谷正造」の解説

扇谷 正造 (おうぎや しょうぞう)

生年月日:1913年3月28日
昭和時代の評論家;ジャーナリスト。日本青少年研究所理事長;週刊朝日編集長
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の扇谷正造の言及

【週刊朝日】より

…1938年ごろには50万部を突破したが,第2次大戦中,用紙の不足から政府が雑誌の規格を統一したため,現在のB5判となり,さらに戦争末期から終戦直後には著しい減ページと,隔週刊や合併号を余儀なくされた。しかし間もなく扇谷正造編集長のもとに不死鳥のようによみがえり,54年には100万部を突破し,最大の雑誌として一時期を築いた。その後,《週刊新潮》を皮きりに出版社発行の週刊誌が続出して週刊誌界は変容したが,現在も根強い支持を得ている。…

※「扇谷正造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」