日本歴史地名大系 「手向郷」の解説 手向郷とうげごう 岐阜県:恵那郡山岡町手向郷恵那郡遠山(とおやま)庄に含まれる中世郷で、現在の山岡町上手向(かみとうげ)・下手向を遺称地とする。暦応三年(一三四〇)二月一〇日の覚心譲状写(遠山文書)によれば、遠山朝廉(覚心)は「ミのゝくにとを山のしやうのうち、たうけのかう」を孫の弥二郎景房に譲っている。また同五年四月一七日の覚心譲状写(同文書)では「美濃国遠山庄手向郷自山北村々名々自山南東西村々、奥遠山上下村地頭職」が同人に譲られている。貞和三年(一三四七)四月七日の足利直義袖判下知状写(同文書)によれば、手向郷地頭職などをめぐり、長井甲斐守貞泰代頼持と遠山景房代心光が相論をして、ここでは心光が勝っている。 手向郷たむけごう 茨城県:下総国岡田郡・豊田郡手向郷「和名抄」にみえるが訓を欠く。「下総旧事考」は「今田下村アリ。是ナルベシ」として田下(たげ)村(現結城郡千代川村)に比定。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by