手安村(読み)てぃやんむら

日本歴史地名大系 「手安村」の解説

手安村
てぃやんむら

[現在地名]瀬戸内手安てあん

現瀬戸内町の中央部、古仁屋くにや村の北西に位置し、集落は瀬戸内(大島海峡)に臨む。ハタケ崎とシバ崎がある。ひぎや間切渡連どれん方のうち。ティヤンという。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、浜方に「まちやみ崎」「しよんま崎」などがみえる。「大島私考」には渡連方九ヵ村のうちとして「手安村」とみえ、高三一石余、うち享保内検後の開地は六斗余、役屋敷分九升余。「大島与人役順続記」には九番組として森貞和子がみえる。手安の浜近くに神棚を備えた神アシャゲがあった。神(ノロが扮する)は薄暗い晩に馬に乗って御供の神々を従え、男神(グジ主)先導でこの道を降りてくるが、神々を拝む女は神道から五、六メートルほど離れ、男はさらに離れてひれ伏して拝み、もし顔をあげる不埒者がいれば男神が杖を大地に突き鳴らし、恐ろしい身振りと怒声で叱りつける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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