日本歴史地名大系 「瀬戸内町」の解説 瀬戸内町せとうちちよう 鹿児島県:大島郡瀬戸内町面積:二三九・九五平方キロ(境界未定)大島の南西端部と、大島海峡を隔てた加計呂麻(かけろま)島、さらに請島(うけじま)水道を挟んだ与路(よろ)島・請島とこれらの属島からなる。北部は宇検(うけん)村、北東部は住用(すみよう)村と接する。町域は油井(ゆい)岳(四八三・六メートル)・高知(こうち)山(四一五メートル)・子(ね)ヘマ岳(三八二メートル)・烏帽子(えぼし)岳(三五八メートル)など標高三〇〇―四〇〇メートル級の山嶺が連なり、八八パーセントが林野で占められる。海岸部はリアス海岸が発達し、伊須(いす)湾・篠川(しのかわ)湾・久慈(くじ)湾・薩川(さつかわ)湾・諸鈍(しよどん)湾・伊子茂(いこも)湾など多数の湾入がみられる。大島海峡は瀬戸内とも称され、これを中心とする一帯は奄美群島国定公園となっている。大島を縦断する国道五八号のほか、主要地方道の名瀬(なぜ)―瀬戸内線、県道の安脚場(あんきやば)―実久(さねく)線が通る。考古遺跡としては嘉徳(かとく)遺跡のほか、皆津崎(かいつざき)貝塚・安脚場遺跡・伊子茂遺跡・与路遺跡などが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「瀬戸内町」の意味・わかりやすい解説 瀬戸内〔町〕せとうち 鹿児島県南部,奄美大島南部と,その南の加計呂麻島(かけろまじま),請島(うけしま),与路島(よろじま)などからなる町。1956年古仁屋町と鎮西村,実久村,西方村の 3村が合体して成立。リアス海岸が発達し,海岸に沿って小集落が点在する。パパイヤ,パッションフルーツ(→トケイソウ〈時計草〉)などの果樹栽培が盛んで,和牛やブタの飼育,大島紬の生産,タイ,真珠などの養殖も行なわれる。中心地区の古仁屋は水陸交通の中心地で,第2次世界大戦中は軍港として要塞,司令部があった。加計呂麻島の諸鈍(しょどん)にある大屯神社(おおちょんじんじゃ)で旧暦の 9月9日に行なわれる諸鈍芝居(しょどんしばや)は重要無形民俗文化財。大島海峡を挟む奄美大島の南部海岸と加計呂麻島の北岸一帯,および大島海峡を一望できる油井岳一帯は奄美群島国立公園に属する。国道58号線が通る。面積 239.65km2。人口 8546(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by