手宮裏町(読み)てみやうらまち

日本歴史地名大系 「手宮裏町」の解説

手宮裏町
てみやうらまち

[現在地名]小樽市末広町すえひろちよう梅ヶ枝町うめがえちよう錦町にしきまち石山町いしやまちよう清水町しみずちよう

明治一四年(一八八一)より同三二年まで存続した高島たかしま郡の町。手宮町の西にある。明治一二年開拓使に手宮村・手宮村裏通・色内いろない村・色内村裏通の改称上申、同一四年七月手宮村裏通は手宮裏町とされた(郡区沿革表)。町内を流れる手宮川の蛇行が不便として同二三年頃から能島繁蔵が流域開墾を始め、同家三代にわたって道路の整備に努めた(小樽市史)。現在も能島のじま通の名称が錦町に残る。同二四年調の「徴発物件一覧表」では戸数二三五、男一千一〇五・女九九七、倉庫一七、厩二、寺一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報