日本歴史地名大系 「手形村」の解説
手形村
てがたむら
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)、文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)などに村名はない。しかし「秋田昔物語」慶長七年(一六〇二)に「只今の御城ハ其頃迄ハ惣社之宮有之、矢止山と申候由、向飛騨屋鋪之辺ハ百姓之家有之、飛騨屋敷ハ肝煎屋敷と承り候」とあり、久保田城築城後の向氏の屋敷は城東の三の丸(現千秋久保田町)に屋敷割を受けており、享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」にも「三の丸向氏御第は古へ山崎村里保屋布の跡也」と記すことから、久保田城東側に手形村(山崎村を含む)の集落があったとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報