手金野村
てがねのむら
木曾川の支流、中津川(川上川)右岸の段丘上に立地し、南側背後は根の上(標高約八〇〇メートル)とよばれ、岩村藩領阿木村、西は東野村(現恵那市)や千旦林村・茄子川村と接する。北は駒場村。会所沢段丘上の上原遺跡からは、土師器や須恵器を伴出した住居跡が発掘され、灰釉を施した陶器の出土する尭遍坊・遍照寺跡もあるが、その歴史の全容は不明。手金野原の開発は慶長一九年(一六一四)に始まり、元和七年(一六二一)に完了したといわれ、川上川を水源としている手賀野上用水は元和年間に、下用水は享保年間(一七一六―三六)に完成している(吉田文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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