才羽村
さいばむら
[現在地名]杉戸町才羽
堤根村の東、蓮沼村の北に位置し、東は庄内古川が流れ、村の東部を関宿往還が通る。田園簿に才羽新田とみえ、田高六一七石余・畑高一〇二石余で、幕府領。「風土記稿」成立当時は旗本酒井・柘植・松下三氏の相給で、家数は八四とある。日光道中の往還通掃除町場は小淵村(現春日部市)地内一六一間、本郷村地内八三間であり(宿村大概帳)、杉戸宿の助郷役を勤めていた(享保八年「杉戸町助郷帳」長瀬家文書)。村の西方、安戸落に架かる槐橋のほとりに道しるべを兼ねた天保三年(一八三二)講中建立の庚申塔があり、「南かすかべ江一リ半、西杉戸ヘ壱リ、北幸手ヘ二リ、東せきやとヘ二リ半」と刻まれている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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